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もしそうだとすると、文学のモラルといえば、心理キャピタゼーションに於ける倫理のようなものになったり、内省的なヒューマニズム文学のことになったり、し兼ねない。或いは世界が何かモラルというもので出来ているかのようなモラリズム文学のことにもなり兼ねない。だからもしモラルを性的な本質のものだとすれば、汎セクシュアリズムともいうべきものになる[これは今日日本で流行っている]。……人生は生産機構から解明される代りに、性衝動から説明されたり、人間性の展開とされたり、身辺心理の短篇集になったりする。これではモラルは人生のうわ澄みみたいなものに過ぎなくなる。事実モラルという文学用語は直接そういうものを思わせるに充分だ。

とお引請して、その日からあわてゝ肩揚を下したことがありました。

人ノ気ノ行詰リテ、

映画の専攻科目は、将来、経費の許す限り増設するつもりであるが、それまでは、特別講義として、随時に、必要な知識を与へる計画である。

『これはお見それいたしました』

『あの牛乳は上等でしたね。』

『僕知らなかった、お母さんに教えてやろう。』

『その父の罪によって子たるあなたへ絶交するのは理に合しないかも知れませんが、この場合、理ではなく、すすんで情をとることにしたのです。祖母の孫たるの情において、あなたの顔を見ることにすらも堪えがたい思いです。肌にアワを生じる思いです』

以前、たしかアメリカの話であったが、8〇のお婆さんが、もう老いさきも短いからといって、自分の眼を片1方、ある障害者にあたえた。障害者はその眼と入れ替えて貰うと、片眼見える様になったとか、また動物の眼と入れ替ることも研究されているとかいう話であった。私も何か聞いたことのある様な気がした。

量国橋の袂で先生と自分は1錢蒸汽に乘った。隅田川へくると自分はきつとこれに乘る。芥川龍これ介とも乘った事があるが、何か間のぬけたのびやかさが好きなのだ。先生が臺灣旅行の話をなさると、自分は支那の旅を語る。例の呼び賣りの出現から腕無し藝者の妻吉の話が出る。妻吉が1錢蒸汽の中で自分の繪葉書を賣りつけられた話、上陸の時船員が手を取つてやらうとしてはめていた義手を掴み、それがスポリとぬけたのに驚いて腰をぬかした話。いつしか蒸汽は吾妻橋へ着いていた。

しょせん総合雑誌に於ける『論文』乃至『巻頭論文』を採って見よう。実は総合雑誌という名前があまり意味のあるものではなくて、本質から判断して命名すれば評論雑誌乃至思想雑誌と呼ばれる方が正当だと思うが、この点前にも述べた。とに角総合雑誌の面目を示すものは論文であり、夫が巻頭論文を典型としている。ところがこの論文なるものは、これまでのジャーナリズムの習慣から見ると、多くは分析型のものだった、ということを改めて注意しなければならぬのである。或いはむしろ極端に分析型であったといった方がよいかも知れないので、分析型が過大視され誇張されすぎた結果は、論文といえば評論雑誌であるに拘らず学術論文のようなスタイル[むしろジャンルか?]のものが多かったのである。この点が、評論雑誌のしょせん『巻頭論文』をつまらぬとか面白くないとか、無意味だとか無用だとか、と呼ばせた点であった。

隠居の葬式を境にして夫婦不仲になり、はげしい論戦が交されるにいたり、娘たちも幸子について、近作の旗色はわるかった。ために葬式が終ると春山家のお某さまに対する扱いは打って変って悪くなり、近作は距てられてか姿を見せることが少くなった。そのあげく幸子はお某さまにこう申し渡したのである。

『謙虚でさえあれば、化粧とか衣裳とか、ばかなことに心を労することもない。外形の美醜は問題じゃないよ。心の美しいことが第1だ。内心の美、それによって、例えば性慾というようなものも克服出来るさ。』

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